『いま』に意味が欲しいひとたち
これってなんのためにやるんですか?
昔は「黙ってやっていれば良いのだ」という論調が社会的に成立していて、やることの意味を説明してくれる良い指導者というのは少数派だった。
インターネットが発達すると、言われるままにやっていたことが、慣習上残っていただけでほとんど無駄だったり、効率がひどく悪いということがばれてきた。
だから、インターネットを使いこなす人たちは自衛のために自然と唱え始めたのかもしれない。
なんのためにやるの? この先これは役に立つの?
なんのためにこれを勉強するの?
こんなこと勉強して将来なんの役に立つの? という疑問はまったく最近のものではない。
ちゃんと説明できない大人が悪かったとは思うけれど「大人になったらわかる」などと言って、子供だった彼らはそのまま大人になった。
彼らは言われたとおり、同じ質問に同じように答えるしかできなかった。化学式や古文が自分のどこに役立っているのか、よくわかっていないままに。
最近はそれもばれてきた。適当な返答では納得しないらしい。なぜこれが役に立つのか、どうしても知りたい人が多い。
どうにもゲームみたいな考え方が出てきたようだ。最後のクリアまで最大限効率的にやりたい。無駄を省きたい。
自分の指導者は攻略Wikiのようなもので、人生の効率を上げるための情報をシンプルに提供してもらいたい。
なるほど、よくわかる。僕もそうしたい。無駄なことなんてなにひとつしたくない。
最速で吸収して、成長して、優秀になって……そして……?
なんのために勉強しているの?
僕がよく聞かれるのはこっちである。
僕は多趣味で色々と手を出している。
たくさん勉強している。練習している。研鑽している。
そんな僕に、みんなは聞いてくるのだ。それって何のために? と。
なんとなく、聞いてくる人には共通の意識がある気がしている。
「勉強しているということは、この人は将来これを役立てる計画があるのだろう」
と。
もちろん、そんなものはない。
将来を見通せると思っているひとたち
なぜ、学校ではたくさんの教科を広く時には深く、時間とお金をたくさんかけて教えてくれるのだろうか?
- サッカー選手になるのなら、サッカーだけ教えればいいじゃないか。
- プログラマーになるのなら、プログラムだけ教えればいいじゃないか。
- 事務員になるなら事務作業だけ教えればいいじゃないか。
その通り! 間違いない!
そう。あなたが一生事務員をやるなら事務作業だけ教わればいいのだ。
事務作業に必要な能力はあなたが就職する10年後も、あなたが仕事にすっかり慣れた20年後も変わらないのであれば。
あなたはそれだけ勉強すればいい。
意味を見つけるかもしれない未来の自分へ
なにかの役に立つと思って勉強しているんじゃないよ。
レベルアップして、できること、知っていることが増えるのはそれだけで楽しいんだ。
それが将来、なにかの役にたったら嬉しいなって、それくらいの気持ちなんだ。
でも、もし、未来の僕が、どうしてもどうしてもやりたくて仕方のない目標を見つけたとき。
そんな時になって、なにも勉強していなくて、それ以外になにもできない自分になっていると、きっと未来の僕がこまる。
でも、どんな自分でもなれるようにがんばっていたら? どうだろうか。
きっとその未来の僕が、いま僕がしていることの意味をみつけるのだろう。