「がんばれ」と言ってもいい境界線
「がんばれ」と言うのは無責任か
最近はうつについての理解が進んだおかげもあるのか、「がんばれ」と言うのは無責任で、相手に無用なプレッシャーを掛けてしまうということをたびたび耳にするようになりました。
確かに、どうしようもならない病気で苦しんでいる人にがんばれと声を掛けるのは無遠慮な行為かもしれません。
しかし、ちょっとだけ違和感を感じている人もいると思います。それは、「がんばれ」と言われて嬉しかった、助かった経験がある人です。
応援することは悪ではない
そもそも、「がんばれ」というのは応援の言葉です。その人のためになるように、気持ちの大小あれど幸せを願う言葉です。言葉として、悪い類では決してありません。
その言葉が人にプレッシャーを与えてしまうのはとても残念な結果ですが、現実として「勝手なこと言いやがって」と思う人がいるのも事実。
「不快に思う人がいるならやめた方が……」
「でも、自分は言われて救われたことがある。誰かの救いになるのであれば……」
どうせなら、うまく使いこなせるのが一番です。
では、何か使用するのに良い判断基準はあるでしょうか。
ゴールを目指しているか、スタートを目指しているか
一つの判断基準として提案するのは、その人がどのステージを目指しているか、です。
- 「がんばれ」と言っていい
→ゴールを目指している人
- 「がんばれ」を言うべきではない
→スタートを目指している人
スタート、ゴールと言って語弊がある場合もあります。「通常を目指している人」、「上を目指している人」と言い換えてもいいでしょう。
その人が、その人にとってどの位置にいるか――それが重要なポイントとなります。
ランナーに例えると、大会で新記録を出すためにハードなトレーニングをしている人。この人は自分なりのゴールを目指しているといえるでしょう。「がんばれ」と応援されて、嫌な気はしないのではないでしょうか。
しかし、スランプに陥って、思ったようにタイムが伸びない人、そもそもいつも通りのタイムが出ない人……これはスタートラインに立つことを目指している状態といえます。このような段階の人に「がんばれ」というのは少し酷でしょう。
病気や怪我の場合は、「治癒を目指す」ところがスタートラインです。
健康になってあんなことをしよう、こんなことをしよう……そう考えて言動に表れている状態がゴールを目指している状態です。
対して、このまま治らなかったらどうしよう。つらい。何とかして欲しい……これは、スタートラインを目指している状態です。自分がこんな時に「がんばれ」と言われたら――少し、つらいかもしれません。
その人の気持ちになって考える
こう言ってしまうと途端に当たり前の話しになってしまうのですが、重要なのは相手の気持ちになって考えることです。そして、相手の気持ちになって考えるために、相手の状況をよく知ることが必要です。
詳細は忘れてしまい正確ではありませんが、こんな話を本で読んだことがあります。
村に住んでいる少年は家に帰る途中、普段は温厚な村人のおじさんに突然乱暴な言葉を投げられます。少年はその場はやり過ごしますが、家に帰ってから憤慨して先ほどのやりとりを父親に話しました。すると父親から、彼の身内が今日亡くなってしまったのだということを伝えられ、「それを最初から知っていれば、もっと違う感情で、違う言葉をかけられたのに」と後悔しました。
その人の状況を良く知らずに発言すると思いがけず相手を傷つけてしまうこともあります。
「がんばれ」と応援したい気持ちがちゃんと伝わるように、相手のことをよく知って、思いやることを心がけたいものです。
ちなみに、僕はよく状況を知らないけどがんばっているなぁ、という人には「がんばって」ではなく「体に気をつけて」と言うようにしています。参考までに。
※上に挙げたお話、ネットや本棚をあさっても見つけられませんでした。それらしいものをご存じの方は教えていただけると助かります。