独身税の議論から考える「飴と鞭」
以前からたまに言われていた独身税がまた話題になっていました。
簡単な話、少子高齢化対策としてまずは結婚してもらおうという考えから、独身の人に税金をかけてお尻を叩こうという話。あとは結婚した人から「独身貴族はずるい」という意見も出たりしているとか。まったく条件が違う立場でずるいも何もないと思いますが・・・
独身税のメリット・デメリットについてははてなキーワードの説明がよくまとまっています。圧倒的に賛成意見より反対意見の方が多いので偏ってはいますが。
僕も立場としては反対です。ですが、独身税が結婚の数を増やすのに効果的だろうな、とも思うのです。
それは、人は「飴と鞭」のどちらかを与えられた場合、鞭の方がより行動の動機として強くなるからです。
飴、つまり「喜び」を得るというのは、人間が生きる上で必須ではありません。しかし、自分の身を守るために、鞭、つまり「痛み」を避けるというのは、生存本能にも結びつく強い欲求です。
わかりやすく言うと、嬉しいことがなくてもストレスにはならないけど、嫌なことがあれば確実にストレスになるってことでしょうか。ストレスを避けようとするのは人として当然、というのはイメージしやすいですよね。
想像してみてください。
・結婚したら毎年100万円差し上げます
・結婚しなければ毎年100万円払ってもらいます
どちらがより結婚の動機として強くなると思いますか?
プラスとマイナスが違うだけで、結婚した側としない側で100万円の差が出るという意味では同じです。同じですが、感じ方はまったく異なるはずですよね。
独身税を実際に導入するとなれば所得税に+αする形かな、と僕は思ひます。
結婚しなければ給料が減ってしまう——これは確実に大きなストレスになるはずで、その分結婚への動機としての効果は高いでしょう。
でも・・・ですよ? 僕が反対! な理由だってもちろんあります。
いくら動機付けとして効果的でも、鞭で叩くことには致命的なデメリットがあります。
鞭で人を動かすと、その人の自主性を奪ってしまうのです。
例えば、テストで80点取る、というラインがあるとします。
飴パターンで、「クリアしたらお小遣いアップ」と言われれば、その瞬間80点は目標になります。「自分で追い求めるもの」になります。
しかし鞭パターンで、「クリアしなければお小遣いカット」と言われれば、80点はノルマになります。「他人に追わさせられるもの」になってしまいます。
人はうまく痛みを回避出来ると、ストレスから解放されます。ほっとします。良い気分になります。そうすると、そこで満足してしまう可能性があるんです。
満足して飴がいらなくなってしまうと、最終的に鞭がないと動かなくなります。つまり、他人に言われないと動けなくなってしまうのです。
これって子供の教育でもままある状態です。
「勉強しなさい!」と子供を怒鳴りつけると、子供は嫌々でも勉強を始めるでしょう。それで子供は怒られるストレスから解放されます。それで満足するようになります。そうして行き着くところは、怒鳴りつけられた時しか勉強しなくなる、という状態です。
逆に子供が良い点数を取ったときに褒めるようにしてみましょう。(実際はそれほどよくなくても)大げさ過ぎるくらい褒めてみましょう。すると子供は満足感を得ます。もし子供がそこで「またこの満足感を味わいたい!」と思ったらどうでしょう? 次にその満足感を得るためには勉強して良い点を取る必要があります。きっと、親が何も言わなくても自主的に勉強し始めるでしょう。
動機を与えるという意味では相手にストレスを与えて動かすというのは効果的です。ですが、その代わりにモチベーションを奪ってしまうというのはひどいデメリットなのです。長期的に見たら確実にマイナスなのですよ!
(※かといって、飴のが最強! じゃないですので注意してください。飴のあげ方を間違えると今度は飴なしに動けない人が出たりします。。。そして鞭が絶対に駄目ってわけでもないです。全く動いてくれない人を動かすために必要な場面もあります)
最後。
そもそも結婚って金策のためにするものでしたっけ、という話です。
独身税から逃れるために結婚する人が増えたところで愛が増えるわけではないのです。冷めた夫婦を増やしたってどうしよーもないと思いませんか。