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自分が思うほど実は恥ずかしくない

 

 ちょっとしたミスをすると、恥ずかしさを感じます。

 例えば道を歩いていて、つまづいて転んでしまったとき。

 ちょっとした勘違いでトンチンカンなことを言ってから、間違っていることに気がついたとき。

 服の開いてはいけないチャックが開いていることを指摘されたとき。。。

 

 そういう経験って誰にもでもあります。とても恥ずかしい思いをした記憶はけっこうはっきり覚えているもので、あまりにひどいと寝る前に思い出して悶絶したりも。

 

 でも、経験があるのであれば、同じように思い出してみてください。

 あなたの目の前で

「うわー、恥ずかしい!」

 ってなってしまった人を見て、あなはた

「うわー、この人恥ずかしいや!」

 なんて思ったでしょうか?

 

 

 

 雪国に住むと必ず遭遇するのが、目の前の人が足を滑らせて転んでしまう場面です。

 実際にやってみるとわかるのですが、滑って転ぶとけっこう恥ずかしくて、

「いったー、ここ滑るなー、もー、いたいなー、もー」

 みたいにぶつぶつ言って誤摩化したくなる感じがします。

 

 でも、後ろから転んだ人を見る限り、

「あ、この人転んでる情けない」

 なんて思うことはまったくありません。大丈夫かな? と心配になるし、その場所はよく滑るってことだから、自分も気をつけないといけないな、と思います。

 

 そういう「恥ずかしいタイミング」って色々あるけど、意外と本人が勝手に恥ずかしがっている場面が多いな、と最近よく思うのです。

 そしてだからこそ、「恥ずかしい」ことを理由に消極的になるのは損だと思うのです。

 

 学校のクラスに必ず何人かは、人前で話すのが苦手で授業で発表なんかがあったりすると、小さい声でぼそぼそぼそ・・・とまるで聞こえない声で話す人がいますよね。

 大きな声で話そうとして、変な声が出て笑われたりしないか・・・変なことを言って後ろ指をさされたりしないか・・・

 なんてどんどん心配になっていって、その結果「恥ずかしいから無理!」となったりする人が多いみたいです。

 でも、実際のところは「ぼそぼそ声」と「大きな声」、比べてみると、「大きな声」の発表の方が概ね人に好印象を与えます。

 たどたどしくても、言っている内容がめちゃくちゃでも、大きな声で堂々と発表する姿は立派です。本人は「大きな声を出すのは恥ずかしい」と思っても、周りは本人が思うほど恥ずかしいとは思わない。

 合唱の授業でも、恥ずかしくて歌わない人がけっこういます。でも、そこでも同じです。下手でも大きな声で一生懸命歌っている人は素晴らしいな、と(少なくとも僕は)思います。

 

 自分が思うほど、実は恥ずかしくないのではないでしょうか。

 

「恥ずかしいな」

 と消極的になりそうになったら、客観的に考えてみてください。本当にその行為は恥ずかしい行為ですか? あなたががんばった結果失敗したとして、それは本当に恥ずかしいことですか? あなたの友人・知人が同じこと、同じ状況になったとしたら、あなたはその人を恥ずかしい人だと思いますか?

 

 

 以前、とある人に会ったとき、僕は少し失敗をしてしまいました。

 ティッシュで鼻をかんだ後だったのですが、鼻から少々汚いものがコンニチハしていたのです。

 それを相手の方に指摘されて僕は思わず、

「恥ずかしい・・・」

 と言ってしまいました。いえ、言っただけじゃありません。本当に恥ずかしいと思ったのです。

 すると、相手の方はすかさず、真剣な表情で、声でこう言ってくれました。

「ううん、何も恥ずかしくないよ。恥ずかしいのはその失敗を笑う人の方だ」

 突然真剣にそんなことを言われて驚きましたが、意外にも戸惑いはありませんでした。その人が真剣にそういってくれていることがわかったからか、恥ずかしい気持ちが消えてとても安心できたのです。

 その言葉は僕にとって衝撃的でした。その言葉を忘れないで生きていきたいと思いました。

 

 失敗や勘違いは誰にでもあります。こういう言葉もありますね。

「転んだ人を笑ってはいけない。彼は歩こうとしたのだ」

 

 本当に「恥ずかしい」ってどういうことなのかな? 皆さんも一度考えてみてはいかがでしょうか。