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歩くことと生きること


 1年前まではとても元気だった年配の方が、いつの間にか寝たきりになっていることがある。

 たった1年でここまで人は変わるのか、と驚かされる。

 瞳からは生気が抜け、身体はやせ細って、声には張りがない。1年前一緒に坂道を上ったあの人と同一人物であると、理解しつつも受け止められない部分がある。

 野生の動物は歩けなくなったら死んでしまう。餌を取りにいけないし、天敵から逃げることも出来ない。同じように、寝たきりになって、それから滝を流れ落ちるようにあっという間にこの世を去ってしまう人は少なくない。

 

 足は第2の心臓とも言われる。

 歩くことで、血液を送り出すポンプとして働くためだ。

 歩くことで、血液が循環する。身体の隅々まで行き渡り、末端の細胞まで栄養が行き渡る。

 

 歩けなくなった人が生きる力を失ってしまうのは『歩けなくなったから』なのか、『歩けなくなった原因』が悪いのか。

 僕に専門的な知識はないけれど、それでもやっぱり寝たきりになった途端、明らかに衰弱が始まっているように見える。

『歩けない』

 ただそれだけ?

 でもそれは、

『第2の心臓が動かなくなった』

 言い換えてみると、致命的に思えたりする。

 

 1日中座ってばかりの人は寿命が縮むとか、病気にかかりやすいというのはよく言われる話だ。

 血液が循環しない。身体の隅々まで栄養が行き渡らない。

 そんな想像をしてみると、なるほど身体には悪そうだ。

 今、デスクワークをしている人はとても多い。座りっぱなしの人も、多い。きっと僕らはもっと歩くべきなのだろう。健康のため? うん、そう、生きるため。

 

 うつ病の人にウォーキングが良い効果を示すことがあるらしい。

 血液が循環するから? 栄養が行き渡るから?

 それはよくわからないけど、とにかく前向きになるらしい。これはとても大事なことだと思う。

 僕は、別に寝たきりになってもいいと思う。寝たきりになっても、その人が生き生きとしていて、前向きで、楽しく生活しているのならそれでいいと思う。

 でも、実際に寝たきりになって、活力をみなぎらせるっていうのは相当難しいと思う。

 一番怖いのは、そうやって歩けなくなって、心が弱ってしまうこと。生きる気力を失った途端、栄養だけじゃなくて、感情も心の中を行き渡らなくなる。心が死んでいってしまう。

 

 よくわからない。

 よくわからないけど、歩くことと生きることは無関係ではない。

 歩くことで血液が循環して、歩くことで前向きになって。

 それはきっと、人が人として生きるために必要なものなのだ。

 

 じゃあ、歩けなくなってしまった人はどうすれば良いだろうか? もしくは生まれつき歩けない人は? 忘れてはいけない。ポンプとしての機能は劣るけど、僕らには両手がある。

 握って開く、という動作でも血液は循環する。

 献血をしたことがある人は思い出して欲しい。スポンジのようなものを持たされて、握って開いてを繰り返すように言われる。血流を促進するためだ。

 だから、車椅子を自分で進めるだけでも、ちゃんと血液は巡るはず。車椅子でも歩けるのだ。

 これは飽くまで僕の個人的なイメージだけど、握力が強い人は年齢に問わず身体が強いと思う。

 以前、握力の強さと死亡率の関係性を調べた統計を見たことがある。握力の強い人は圧倒的に長生きだった。

 その時は単に「握力が強くなるほど日常的に運動しているから健康なんでしょう?」と直接的な関係性に疑問だった。けど、握力が強いということは、それだけ握って開いてを繰り返しているということで。今にしてみれば「手のポンプの働きがあったのかも」、と想像することができないこともない。

 じゃあ、歩けないし、手も動かなくなったらどうすればいいだろう。

 そうなったら、あと残っているのは「噛む」動作だ。最後の砦にして最終兵器。

 だから、最期の最後まで歯は大事にした方がいいと思う。単なる運動としてだけじゃなく、健康的な食事をするという意味でもかなり大事だし。

 

 なんてことを書いていて、もう随分と歯医者に通っていないことを思い出してしまった。

 とりあえず、人として前向きに生きるため、僕はまず歯医者まで歩くことから始めた方が良さそうだ。

 

 歩くことと生きること。きっと無関係じゃないと思う。なんとなく気持ちが沈んだ時は、何も考えず歩いてみるのも良いかもしれない。