Calms blog

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お金を払う方が偉いという勘違い

 

 商品やサービスの取引の中で、払った側が受け取った側に対して優位に立つと勘違いする人がいる。要は「俺は金払ってんだぞおら!」理論である。理論じゃないか。

 人はなぜか、お金を払うと「払ってやった」という気分になるようだ。もう少しわかりにくい言い方をすれば、金銭を払うという行為は自分の財産を切り崩す行為であるため心理的に痛みを伴うといえる。それに対して、金銭を受け取る側の現金資産は増えるため、支払い側から観て、受け取る側は純粋に得をしていると想像される。ここから、相手の快楽のために自分は痛みを負ったのだという理屈が無意識的に発生する。これは本人の中で『貸しを一つ作った状態』として認識され、その貸しの分だけ相手は自分に尽くすべきだという大義名分を作り出す。

 

 非常に申し上げやすいが、それは勘違いに他ならない。なぜなら、顧客というのは何かを得るために対価を払うのだから、取引の結果、お金だけが出て行って何も得ていないというのは考えられないからだ。帳簿的にいえば、貸方と借方の額が一致しているのである。

 飲食店ならお金を払う分だけ飲食するのだし、電器屋であればお金を払った分だけ商品を受け取る。

 消費者側はお金を払い、サービスを受け取る。

 提供者側はお金を受け取り、サービスを提供する。

 これは非の打ち所がないほどに対等な取引であり、どちらが偉いということになるはずがない。

 よって、『資産の消費という自己犠牲の上に作ったオレエライ』は勘違いなのである。

 

 オレエライにはまだ要因がある。「俺が買わないとお前ら困るんだろ?」理論である。理論じゃないか。

 これは、相手の幸不幸を自分が左右出来るのだから自分の方が偉い、という理屈だ。これは「生かすも殺すも俺次第なんだ。さぁ俺を存分に満足させろ」という中世あたりの身分制度を引きずってきたようなもので、残念ながら現代では通用しない。

 そもそも取引自体は対等なものなのだから、消費者が「俺が買わないと困るんだろ?」と主張出来るように、提供者にも「私が提供しないと困るのでしょう?」と言い返す権利があるのだ。

 消費者がその人たった一人しか存在しないならまだしも、世の中に消費者なんて溢れ返っている。「別にあなたのような人に買ってもらわなくても大丈夫です。お引き取りください」と言われたら当然消費者側が困る。

 簡単に言えば、『払ってやっている』と同時に『売ってもらっている』のである。だから消費者が特別偉いということはないし、同じように提供者が特別偉いということはない。

 

 何かを買うためにお金を払って、払った分だけ何かを得る。商品やサービスのやり取りはたったそれだけで、付加価値サービスがどうのこうのとかいうのはまた別の話である。

 

 よって、あなたがお金を払っただけで偉くなったと感じたり、喫茶店にご帰宅してご主人様と呼ばれて偉くなったと感じたりするのは勘違いである。その分サービス・商品を受け取っているのだから対等だし、あなたをご主人様と呼ぶその少女は営業時間中にしか存在しない幻である。