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体罰を受けたことのある人にも、今受けている人の苦しみはわからない

 

 喉元過ぎれば熱さ忘れる、という言葉がありますね。

 

 体罰問題が最近ホットな話題ですが、中には擁護派もいらっしゃるようです。愛の鞭的な。

 とりあえずここでは愛の鞭と体罰は違うとか、聞き飽きた話題は置いておいて。

 

 苦しかった!って過去形より、苦しい!っていう現在形の方がずっと苦しいです。

 過去の体験は、

「とても大変でしたが、振り返ればあの経験のおかげで今の自分があります」

 なんて美化されることもあります。結局、終わってしまえば他人事になってしまうわけで。

 

 でも、今苦しんでいる人はそれどころじゃないです。

 身体的にも精神的にも大きな負荷が掛かっていて、必死に前に進もうと踏ん張っているのですから。

 その苦しみを想像することもできますし、自分のときの苦しみを思い出すこともできます。でも、今、現在、直接負荷が掛かっていない状態では高が知れているのです。

 だから自分の体験を掘り出して「わかっているぞ!」と言うのはなんだかなーって僕は思う。

 

 そもそも、「今思えば必要だった」と言える人は乗り越えた人であって、誰もがそうなれるものではありません。潰れたり飛ばされたりしちゃう人がぜったいに出てきます。

 体罰を乗り越えて強くなれる人は『根性』がある人で、根性はないけどセンスは抜群とか、そういう変わったタイプを活かせない指導というのは良くないですよね。

 

 

 体罰(愛の鞭)に関して、僕の立場は『人によってはあり』。

 効果的な場面があることは確かです。叩かれて初めて気付くことだってあります。

 でも万人がそうじゃなくて、人によりけりです。だって、その人がSかMかという観点だけでも全然違ってくるし。

 

 そもそもですが、教育者は相手に合わせて教育方法を変えないとダメです。自分が叩かれて育ったからって叩くのはダメで、逆に叩かれないで育ったから絶対に叩かない!という固定概念もダメ。ちゃんと教え方を勉強して、いろんなバリエーションを学んで、『教育』というスキルを磨かないとダメ。

 

 自分が困難を乗り越えた時、自分に対して熱心に指導してくれた人の姿は、そのまま自分の中で『教育の成功例』として残りがちです。

 でもどんな分野でも言われますよね。気をつけないといけません。

 過去の成功体験にとらわれちゃ、ダメ。